講演会の記録
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「日本人にとっての日本国憲法」 野田 正彰氏 (関西学院大学教授 精神神経科医)
多くの犠牲の上につくられた憲法
 まず、日清戦争で1つの帝国として登場しようとしました。ここで戦争の仕方が一体何であったのかをもう一度きちっと見ておく必要があります。司馬遼太郎さんのいわゆる司馬史観と言われているような史観では、日本は日露戦争までは侍の国であって捕虜の待遇も良かったということを言われております。これは明らかに嘘でありますけれども、そういうことを言っております。その日清戦争では朝鮮半島の支配をめぐって清国との戦いの中で、日本はまさに帝国の一員になろうとしたということを最も強調して戦争を行いました。たとえば、あの戦争では欧米のジャーナリストを艦船に入れて、いかに自分達が欧米の基準から見て正しい戦争をやっているかということを証明しようとしました。そのために、当時のアメリカの報道を見ますと、日本の軍隊はいかに文明の兵士であるかということを絶賛しております。たとえば私の見たアメリカの新聞では、日本の兵士は非常に規律正しく西洋の軍隊のそれに劣るものではない、と。そして、彼等は捕虜に対して煙草を与えるなどの人間味を示している、と。そして、中国側の兵士は勇敢ではあるけれども、彼等は賞金のために戦っているのであって、逃走の際には軍服を脱ぐなどの非組織的野蛮な軍隊であるというようなことを書いて日本軍を絶賛しております。
 たとえばここにエピソードがあります。アメリカのジャーナリストのクリーマンという人が連合艦隊司令官に戦争についてのインタビューをしています。そこでは中国側も勇敢に戦ったが日本艦隊はすばやい艦隊行動と速射砲の集中で勝利した。こういうことを言っております。そして、この記事の最後に自分にはもっと重大なニュースがあるとこの記者がいって、ポケットから男子の誕生を知らせるオハイオの妻からの電報を出すと、司令官は大いに喜んでシャンペンを取り寄せて乾杯をした、と。こういうことを添えてあって、いかに日本の軍人が西洋化されているかということを強調しております。これが日本の戦争の出発でありました。
 しかし、欧米の記者や将校が見ていないところでは、日清戦争の中で旅順の大虐殺を起こしているわけです。中国人に対して数万、中国側は5万とも言っておりますけれども、そういった虐殺を行っていく、これが日本の海外への戦争の出発でありました。こういった外に対して自分達の戦争を示すというのが日本の戦争の出発でありました。その後ずっとそういう姿勢が病理として表れながら、第一次大戦でヨーロッパはあれほど悲惨な戦争をもう二度としたくないと思っていた時、日本は火事場泥棒よろしく山東半島を要求し、21カ条の要求を中国につきつけて、中国への侵略を更に進行させていったのです。こういう形で日本は早く帝国になろうとし、アジアの人に対してはいかなる残虐な行為を行っても平気であって、精神の解体を示さないというのが日本の軍隊の構造でありました。

欠落した「加害者としての反省」
 私達はそういったことの反省を、戦後十分にできるような国民ではありませんでした。中国の人達から見ると日本の戦争の反省というのは、まず戦争は悲惨であるということの確認、そしてそのために戦争は二度と起こすべきでないという、この2つです。しかし、アジアの人達が求めていることは自分達がどれほどひどいことをしたのか、二度とあやまちを繰り返さないために自分達のしたことを直視してほしいという思いが3番目にあります。日本の反省は、この3番目が完全に欠落したままの戦争反省であります。このことは単に戦争の認識の問題ではなくて、私達の文化、人間関係のとらえ方、私達の精神構造に深く根ざしていると言えます。
 たとえば、私は精神科の医師としてベトナム戦争で精神的に解体したアメリカとかオーストラリアの兵士達の論文を読み、その後カンボジアのキリングフィールズを歩いたり、それからアフガン戦争で傷ついた兵士をインタビューしたりしながら、いかに戦争というのは殺されることの悲惨さと負けず劣らず、それ以上に人間として道徳的に許されない行為をした人間が精神的に深い解体をもたらすか、それをずっと見てきました。私はそういう人達のインタビューをしながら、武器を持たない人を残虐に殺すという行為をするよりは殺された方がいいんだなということを切実に感じました。その後、残された人生を、あの体験を何度も何度も脳裏にうかび、人に隠して思い出しながら生きていくことの辛さというのは聞き取りの中で何度となく胸が張り裂けそうな思いで聞いてきたわけです。
 しかし、日本の兵士達には、そういった自分のやった残虐行為に対して人間としての解体という現象は非常に少なかったわけであります。一体なんででしょうか。
 日本人は、表向きの国民向けに言われている戦争観、相手も武器を持ち武装しており、こちらも正規軍で戦ってそこで勝利した、そういった正当な戦争のイメージが、神風特攻隊だとか玉砕だとか、そういうことの中に美化されています。しかし、現実の戦争はそうではなかった。日本軍は兵站もほとんど保障しないで侵略していって食糧も持っていなかった。末期の中国の戦線、南方で行った戦争などでは、当時の軍医の責任者である長尾さんが報告しておりますけれども、戦場の兵士達の8割以上が病死であります。衰弱死です。靖国神社には戦死という形でまつっていますけれども、もしあそこにまつっている人達の個々の死因をサンプリングして研究したら、おそらく大半が衰弱死であろうと思われます。そういうばかな戦争をしておきながら、戦争の実態を知らせない。そして、食糧を確保するために現地の農民を殺した。そういった戦争をやっていったのです。
 しかし、日本の戦後もどってきた兵士達は、そういったことで社会の中で深い傷を提示して、私達はそれを深く受けとめると言うことができないまま戦後を歩んでいきました。戦後の歩みはとにかく生きることが精一杯でしたし、その生きることが精いっぱいの時代が終わると、今度はアメリカのように豊かになろうということをひたむきに行いました。そして、豊かになると今度は「ジャパン アズ NO1」とか言ってうかれました。そして、バブルがはじけた後長い停滞の時期にきて、今やアメリカの傘の下に生きれば、当分しばらく富裕な社会が維持できるというそういった怠惰な状態にあります。私達はこの文化の中に近代の百数十年にわたる深い戦争の傷跡を背負って生きていると言えると思います。
 私は日本の兵士達が人間の道徳が全くない人であったとは思いたくありません。どこの社会でも、「人を殺すな」「放火をするな」「盗人をするな」とかそういったことは教えられていますし、小さい時から身についているはずです。しかし、そしてそれなりに戦争の論理というのはあって、敵が武装している時には戦うんだとか、そういったことは言われてきた。しかし、戦場の中ではそうではなかった。子どもを殺し、老人を殺し、そして彼等を根拠地の方に追い込み餓死させる、そういったことをずっとやってきたわけですね。
 しかし、そういったことは戦後日本の中でほとんど伝えられることなしにきました。私はそういった悲惨な戦争に行ってきた人の中に精神的に後のベトナム戦争やアフガン戦争と同じように傷ついて精神的に解体した人はいただろうと思いたいです。
 精神医学の領域では東京に国府台陸軍病院というのがありまして、そこに多くの陸軍の兵士達が送還されてきております、精神的不安定で。圧倒的多数は進行性麻痺のような梅毒になった人とか、あるいは後期の戦争では知的障害者も全部戦争に送り込みましたから、戦場で精神的に解体して反応した人達がかなり多いんです。
 その中で2千人のカルテに精神神経症が書かれております。しかし、この人達の中に戦争の中で人間として許されない行為をしたということで、精神的にたとえばそのためにうなされるとか幻象を見るとかいう人は極めて少ないわけです。これは私達の社会が何重にも個々の人間の自我の個人として戦争の問題を受けとめさせない文化構造を私達はもってきているということです。
 その1つは天皇であります。天皇が戦争を起こして天皇が指示しておきながら、天皇は謝罪もしていない。だから、どうして私がなんで責任を感じなくていいだろうかというワンクッションがあります。国民全体も、あれはやむえなかった戦争であるといういいわけがあります。そして、私達は被害者であると。加害の事実は全部隠されて、加害は言うな、と。そして、全体は悲惨な被害者であると。そういう中で戦後はずっときたわけです。

現憲法は戦争放棄にとどまってはいない
 これくらい片面影の部分を見過ごしたまま作られた憲法であり、そして歩んできた戦後の60年であったということを見逃すわけにいかないと思います。そして、そのことが今改正を主張する人達によって、そういう側面は全部忘れさせられようとしています。小泉とか前原のような人達によって普通の国になるんだということが言われているわけです。
 しかし、冒頭から言っているように私達の憲法は、2百万から3百万人と言われる戦争で外地にいって死んだ侵略者だけではなく、また内地の爆撃によって死んだたくさんの人達、広島・長崎も含めてそういった人達だけではなく、アジアの数千万の人達の犠牲の上に、もはや侵略者として戦争を起こしていくような国の作り方をしない、代わりに国際社会における相互の信頼に基づいて積極的に相互のコミュニケーションを豊かにすることによって平和を作っていくんだということを書いてあるわけです。
 だから、この憲法の中で陰の部分は今言いましたけれども、私達は同時に自衛隊を持たないということだけではなくて、積極的に自分の過去を反省して平和のための活動をするというのがこの憲法の前文であり、理念であったと思います。しかし、この憲法が作られた時から、サンフランシスコ講和条約そして朝鮮戦争へと入っていく中で、権力を握った政府はこの憲法が望ましいと思っていない人によって、公務員として憲法を守らないといけないという義務があるこの憲法の下に政権が作られると言うネジレ現象をずっとしてきました。前文に書いてあるんですね。戦争放棄だけではなくて、積極的に私達は戦争の反省に立って前向きに平和のための行動をするという面が非常に欠けたままきていると思います。

今、私たちは「参戦国民」である
 私は現代の戦争ということを言って結びたいと思います。憲法の改悪を阻止するということをあらゆる形で宣伝していくと同時に、戦後の反省に立って、1つは今言いましたように私達が行った戦争は何だったのかということを、これからの世代そして今大人になっている世代は系統的に学ぶということをまずしないといけないと思います。それから2つ目に現在行われている戦争に対して積極的な活動が必要だと思います。
 現在行われている戦争というのは、もちろんイラクでの戦争があります。私達は参戦国民であります。つまり、4年前から私達は世界中で「テロとの戦争」という言葉を平気で使っております。マスコミにも『テロと戦争』という言葉が踊っております。そのテロとの戦争の中で、私たち自身が参戦国民であるということを、私はひしひしと感じております。毎日感じます。たとえば、今日も飛行機に乗ってきましたが、「テロ対策のために警備が厳しくなっています」なんていう掲示の下にチェックは行われます。
 あるいは学校の中で事件が起こると、そもそもどうして学校が狙われるのだろうか、そういうことを考えて、わずか20数年前は学校は地域に開放されなければいけないと言っていたことをすっかり忘れて学校を要塞化するような議論がずっと行われていくわけです。
 こういったことも全部「テロとの戦争」という形で言われるんですね。それを疑わなくなった社会のあり方だと私は思っております。この先に私達を一体何が待っているのでしょうか。イラクでパレスチナでロンドンであるいはチェチェンでアフリカで、様々なテロが行われています。このテロとの戦争に私達が勝つ見込みがあるでしょうか。テロとの戦争をあと10年続け、どんな地球がくるのか皆さん考えたことがあるでしょうか。「テロとの戦争」と叫ばれて進行していることは、1人の正規軍に対して10倍20倍あるいは50倍というようなテロリストと民衆が死んでいくという現実です。そして、一人の死んだ民衆のあとには、怨念を持って自爆爆弾をまくような人達がまた10倍20倍と生まれてくるわけです。
 一体この地球上で、「テロと戦争」と言いながら、アメリカを司令塔として戦争を続けたら、どんな社会が来るでしょうか。おそらく、私は思いますけれども、それは徹底して市民としての権利が制限されて、一部の権力者によって生活がコントロールされて、「テロとの戦い」と言えば何でもできるような社会があちこちにできていくんだろうと思います。そして、建前上は民主主義という欺瞞が言われながら、一部の権力者が適当に司法とか立法をあやつっていく社会が確実にできあがっていくだろうと思います。私は「テロとの戦争」に対して、この憲法で掲げられているような理念を生かして私達ができることは、やはりテロとの対話こそが私達の平和に向けてできる世界への貢献ではないかと思うのです。もう戦争は二度とやめよう、平和を望むということを言ったら、現時点において私達が取り組まなければいけないものは、テロリズムとの対話ではないかと思います。
 私はいろいろな地域の紛争地で、そういった紛争に関わる人間の精神的な様々な葛藤を見てきました。テロリスト達はとにかく怒っています。それは合理的な怒りとは必ずしも言えません。富める国家による資源の収奪に怒っています。それから、民族への差別・抑圧に怒っています。そして、思想や宗教への弾圧に怒っています。グローバリゼーションの下に押しつけられ、秩序に怒っています。あるいは何代にもわたって自分の近辺、家族、そういったものが殺されてきた怨念の集積の中、彼等は怒りをたぎらせています。しかし、そういった怒りを整理して周りに伝える手段がありません。だから、彼等が何ができるかといった時は追いつめられた人間として自分の死をかけて何らかの抗議をすること、そしてその後に自分の後に次の世代が抗議に立ち上がっていることを信じる、そういう非合理的な心理状態にあります。
 しかし、このことは私達のまさにテロ国家であった日本人であればこそ、最もよく理解できることでなければなりません。神風特攻隊を作ったのは日本です。あの時に若い世代はこのことで戦争に勝てるとは思っていませんでした。しかし、戦争に対して、反戦で立ち向かう力もありませんでした。日本的なひ弱さと言うのかな、自分が見事に死ぬことによって次の社会ができたらいいんだというようなことを言いながらしか、死ぬことはできませんでした。玉砕の論理も全部そうでした。そういった歴史を持っている私達はこの今世界で行われている弱者による、あるいは差別による、そういった追いつめられた抗議をきちっと聞いてそれを整理するということが私達はできる位置にあるのではないか、しなければならないことではないかと思います。世界中の紛争地でそういった人達と密かに連絡を取って代表者の安全を保障しつつ、彼等の主張をゆっくり時間をかけて聞き、彼等の傷つけられた感情を分析していくこと、時間をかけた対話によって彼等が世界に伝えたいことを理解して世界に向かって発言の機会を与えていくこと、それ以外に私はテロリズムの克服の道はないだろうと思います。
 同時に、その作業を通して私達は富める国家に住む者がいかに他地域の矛盾から利益を得ているか、そういったことをもっと知って、そしてその反省を、すぐ変えることはできないけれどもプログラムを作って反省に取り組んでいく。そのことが私達のテロに対する本当の対応ではないかと思います。

「戦争」という言葉が身近に飛び交っている現実の中で
 私が今日言いたかったことは、全国に向けて戦争放棄のこの条項を変えようとする政府与党の動きに対して反対をする、しかし同時に私達は阻止だけではなくて自分達の現実を変えていこうという理想に向かって歩み出すことがこの憲法に書かれた理念を守ることではないか、本当に生かすことではないかと思います。
 一体、どれだけ私達は日本の行った戦争の反省を深く内実化してそれを教育の中に下ろしていったかどうか反省する必要があります。現在国会議員になっている人達は、ほとんど戦争の事実を知りません。中国の戦線で何が行われたのか、たとえば原爆に先立って日本が最初に戦略爆撃を中国で行って、たとえば重慶であれほど執拗に爆撃したことを知っている議員はそんなにいないでしょう。あるいは中国の南方の雲南地域でどれくらい多くの虐殺をしたのか。満州でちょっと何かやったぐらいのことは知っているでしょう。
 一般的に戦争の中で侵略をしてご迷惑をかけました式のことを言って、本当に戦争の中で傷つくのは、傷つけられた人間と同時に、加害者であった人間の中に深い傷が残り、そしてそれは私達が社会がそれを背負っており、それを変えていくのは私達が前向きに現代の国際社会に対して何らかの平和の貢献をしていくという作業の中でしか変えていくこともできないし、私達が立ち直っていくこともできないんだということを見ておく必要があると思います。
 この日本国憲法の前文の中に書いてあることは決して後ろ向きではありません。前に向き、努力していく、国際社会の信頼に向けて私達は不断に歩み続けることによって戦争の反省が行われると書いてあるわけです。現在の政府与党によって9条第2項が削られようとしている時に、私はもう1回かみしめてこの60年の怠慢を反省しながら、前向きに進んでいく必要があるのではないかと思います。
 私はテロとの対話という話を言いましたけれども、これはこの間、特に中央アジアでウズベキスタンの紛争だとかアゼルバイジャンとアルメニアの戦争地とかそういった紛争地を歩きながら、ひしひしと感じてきたことです。私と若干違いがありますけれども、たとえばアメリカのカーターが大統領を辞めた後、カーター研究所というのを作っておりまして、そこではエストニアとかパレスチナとか、キプロスなど紛争地の当事者の国会議員、外交官、市民運動のリーダー、それから普通の市民、そういった人達を集め、お互いの思いを言い続けながら、そこの中で相互の歩み寄りが少しずつ進んでいく。そういう紛争地の当事者の感情に視点を当てた会話を起こすということをやっております。
 アメリカの軍需予算の全てをかけても、そういったテロとの対話ということに世界は取り組んでもいいはずです。あのウイルソンが第一次大戦の後に「戦争はやめよう」と提起しておきながら、再び戦争を迎え、そして国連を作った。今また平気で「テロとの戦争」と語られて、これに勝たない限り、次の世界はないかのように言われております。もう一度「戦争」という言葉が、いかに身近に飛び交っているかということを振り返りながら、私達は「憲法改正」という活字、提起された問題に前向きに取り組んでいきたいと思います。
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